注目ぼん(本)・監修者(著者)に聞く



<<<   2007.05   >>>


☆★☆ インタビュー ☆★☆

『現代中国農業経済論』の著者 沈金虎先生に聞く(後編)

 今年2月に沈金虎先生(京都大学農学研究科)の大作『現代中国農業経済論−近代化への歩みと挑戦』が発行になりました。この本は、戦前の植民地時代から、改革・開放の歴史に始まり、中国の食料需要と農業成長の計量分析、WTO加盟、農民負担問題、教育改革、農工格差、戸籍制度、さらに土壌浸食、草原退化・砂漠化問題にまで、中国農業が抱える問題ほとんどすべてにわたって論述した大作です。
 そこで、著者の沈先生に、先生のお人なりや、本についての読みどころ、特長、今後の研究方向などについてお聞きしました。今回は後編です。

◇『現代中国農業経済論』の特長

 問い:『現代中国農業経済論』が先日発行されたわけですが、こうした中国の農業問題に関する研究は留学以来一貫したテーマだったのでしょうか? また、いままでどのような研究テーマに取り組んでこられましたか?

答え:私が中国農業経済問題を研究し始めたのは、1993年にキヤノンソフトの仕事を辞め、大学の教育と研究生活に戻ってからです。京都大学の修士・博士の時期の私の研究テーマは、戦後日本における大豆の生産と消費に関する計量経済学的研究でした。ご承知のように、戦後日本の大豆消費は急速に伸びましたが、国内生産は逆に大幅に衰退しました。私の研究は、生産面での畑作大豆の衰退原因と、水田転作大豆に絡むこれまでの水田農業政策を分析・検討し、また消費面に関しては大豆から得る蛋白質食品(豆腐、油揚げ、納豆、醤油、味噌など)と油脂食品に分けて、それぞれの家計需要、市場需要構造を計量経済学的に分析することでした。それらの研究成果を、1989年京大に提出した学位論文にまとめ、また2004年に若干新しい内容を追加して、中国農業出版社から出版しました。中国の出版社ですけれど、内容は日本語のままです。日本の大豆生産と消費に関する経済研究は意外と少ないので、興味ある方はぜひ一読して下さい。


 問い:『現代中国農業経済論』は、558頁という大著で、歴史から現在中国が直面するあらゆる問題が論述されています。こうした大著を作ろうとした思われた契機や動機についてお話しいただけますか?

 答え:私の中国農業経済問題の研究は、初めは食料需要と生産変動に関する計量経済学的分析からでした。理由は非常に簡単です。日本の大豆研究で蓄積したノウハウをそのまま援用できるし、比較的に早く研究成果が得られると思ったからです。これらの研究が一段落すると、私の関心も少しずつ他の農業問題に向き始めました。WTO加盟の影響、農工格差に絡む戸籍制度、農民負担、農村教育、そして農業関連の環境問題等々です。これらの研究成果が蓄積するにつれ、現代中国農業経済に関する一冊を本にしたいという思いも次第に強くなりました。
 しかし、これらの現実問題を論述するだけでは、現代中国の農業問題の全貌を読者に提示することはできません。中国人の私でさえ、中国の農業問題を研究したさい、その全貌を理解することの難しさを痛感していましたから、日本人にとってはもっと難しいと思いました。その一方、現代中国農業の歴史的な変遷に関して、断片的な研究はいくつかがあります。しかし、戦前から戦後の農地改革、農業合作化・人民公社化と1978年以降の農村経済改革までの全過程について体系的に整理・分析した研究はあまりありません。日本を含む海外はもちろん、中国国内の研究を見渡しても見つけられないのです。というわけで、3、4年前から、戦前から最近までの中国農業の歴史的な歩みに関する研究を取り組み始め、また他の研究成果を一緒に収め、本書の今の構成となりました。


 問い:この本では「三農問題」の解決への道筋を描くということが大きなテーマだと思われます。実際、本のなかでも、農民負担、教育改革、農工格差、戸籍制度、土壌浸食、草原退化・砂漠化問題など、多岐にわたって処方箋を描き出しています。しかし、先生のご指摘のように、「三農問題」は中国の医療や保険などの社会保障政策と結びついているとしますと、解決は難しいのではありませんか?

答え:中国はいまでも共産党一党独裁の国です。それは、悪いところもあれば、良いところもあります。その政治体制下で、ものごとが動かなければ動かないが、いったん動き始めると非常にスピードが速いのが特徴です。これまでに、中国共産党は一日も早く工業化を実現するために、工業を優先し、農業・農民を軽視する政策を取ってきました。その結果、さまざまな歪みをもたらしました。しかしいま、状況は変わり始めています。「三農問題」を解決しなければならない時期にきていることと、好調な経済成長を背景に、中国の国家財政の懐もかなり余裕が出てきましたので、最近の中国政府は「三農問題」の解決に真剣に取り組み始めています。
 2005年に農業税の即時廃止を決定し、2006年には中西部農村地域を対象に小中学校の授業料免除を実施し始めました。また2006年10月に開かれた共産党十六期六中全会では、2020年までに全国民を対象とする社会保障システムを構築する目標を立てました。その手始めに、つい最近開催の全人大十期5回会議では、全国農村地域で最低生活保障制度を実施することを決定しました。現段階では農民への最低生活保障額の基準はまだまだ低いものですが、大きな第一歩を踏み出しました。将来は希望が持てます。
 もちろん、「工業を優先し、農業・農民を軽視する」政策を改めるだけでは、不十分です。農工格差の拡大にはほかの構造的な原因があります。また農業を保護しすぎると、別の問題が出てきます。その点は、戦後日本の農業と農政の展開の経験は中国にとって大いに参考になります。


 問い:現在、日本と中国は経済的に密接な関係にあります。また黄砂にみられるように、中国の環境問題は直接に日本に影響を及ぼしています。この本は、中国農業に関してほとんど網羅しているため、中国農業の専門家だけでなく、素人の人が読んでも関心がもてるのではないかと思います。この本の特長、ここだけは是非読者に読んでもらいたい点は、どんなところでしょうか。 

答え:この本の最大の特長は、次の二つにあると思います。すなわち、第1は戦前から今日までの中国農業の歴史的な変遷を体系的に、分かりやすく整理・分析したことです。それらの分析を読むことによって、読者はきっと現代中国に関するいくつかの重要問題に関して認識を新たにすると思います。例えば、中国革命がなぜ避けられなかったのか、1950年代に中国なぜ急いで社会主義の集団農業に走ったのか、その社会主義集団農業がなぜ失敗したのか、そして1978年代以降の農村改革がどういう内容を含み、またなぜ成功したのか、等々です。
 第2は、いま中国が抱えている「三農問題」について、農業・農村の範疇にとらわれずに、それと関連する中国特有の国家工業化戦略、財政、税収、戸籍、教育制度などまでに範囲を広げて、問題の性質、原因の所在と解決の方策について分析したことです。中国の「三農問題」に関して、本書の提示した解決策に要検討の点は大いにありますが、これらの「三農問題」がなぜ生じたのかについては、分かりやすく説明されていると思います。

◇今後の研究テーマ

 問い:今後は、どのような研究テーマを追究したいと思っていますか?

 答え:いま科研の課題として、中国の草原退化・砂漠化の制度・政策的な要因について分析しています。『現代中国農業経済論』の最後の章でその問題を若干取り上げましたが、より深めていきたいですね。それが終わると、引き続き中国の「三農問題」の今後の動向、とくに中国政府の対応策について追究していきたいです。そのなかで、農業普及組織と農業合作組織に関して、日本の経験は大いに参考になりますので、それらに関して日中両国間の比較研究も進めていきたいと思います。


 大変さまざまなことにお答えいただきありがとうございました。先生の御著書を身近に感じるができましたし、また本を読むうえでもとても参考になりました。今後ともご研究にご執筆にご活躍されることを期待いたしております。
(2007年3月30日)