マコの勝手に思い入れ情報

著者の意向とは関係なく、本の主題とも大きく外れますが、勝手に面白いと思う情報を取り上げるコーナーです。



<<<   2007.05   >>>


☆★☆ 無秩序なモザイク−郊外あるいは都市近郊 ☆★☆ 

  今回は、C.R.ブライアント・T.R.R.ジョンストン著(山本正三 他訳)『都市近郊地域における農業−その持続性の理論と計画−』です。
 都市近郊地域での農業的土地利用に対して、さまざまなインパクト(この本では営力といっています)が働いてます。土地利用の変化の過程とこの営力を関連づけ、体系的に説明しているのが本書なんです。従来は、この都市発展のインパクトによる農業のマイナス面ばかりが強調されていました。ブライアントとジョンストンはむしろ「活力に満ちた環境」「変化の最前線」ととらえているのです。
 本書のねらいは、都市近郊地域における農業のモザイクを明らかにすること。その実証のため、ブライアントとジョンストンは、パリ大都市圏やモントリオール大都市圏、トロント大都市圏を調査し、本書のテーマと関連する研究事例−ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド−を渉猟し、分析しています。そこに描かれた事例は、日本と驚くほど似通っているんです。
 こうした多様な事例を論理的に説明し、2人はポストモダンの新しい農村地域像を提示しています。それは「持続的な農村システム」であり、「グローカルな(グローバルに考え、ローカルに行動する)農村」です。そのためには、今後、地方の行政機構や協同組合組織が地域社会の農地や農業の管理で重要になると予想しています。しかも今後は、そこに住んでいない人びとまで含めて、地域社会の利害関係を調整する必要がでてくると予想しており、地域社会は高度な開放性と柔軟性が要求されるとしています。
 このほか、「土地に関するパースペクティブ」では、農地としての土地の果たす役割として「生産」「保護・保全」「オープンスペース」「余暇・遊び」に分けて分析し、ポスト産業社会の農業と農村は、3つの営力〔@社会の新しいニーズ(エコ、ヘルシーといったもの)、A交通・通信技術の変化、B生産技術の変化〕に影響を受けているとして、それら営力と農村地域の変化を分析するなど、興味深い内容になっています。
 さてこの本で面白かったのは、都市近郊地域の分類。都市化の影響の強さから、次のように分類している点です。すなわち、@都市近郊の内帯、A都市近郊の外帯、Bアーバンシャドー、C後背農村地帯。
 @は都市の核心部の周りで都市的要素が高密度に発展しており、農業的土地利用は開発の脅威にさらされ、土地の投機的活動が集中している地域。Aは農村的活動が卓越するが、都市が浸透しており、主要道路沿いの散在する住宅開発、孤立・分散した住宅開発、住宅団地がみられる地域。Bはある程度の土地が非農民によって所有されており、別荘や高級住宅地が無秩序に開発されている地域。Cは週末に過ごす別荘やコテージ、セカンドハウスの開発の形で都市的要素がいくつかみられる地域。
 これを読んで、いま自分の住んでいるところを連想してしまいましたよ。ここには30年あまり住んでいます。新宿から急行で20分のところなんです。30年前は駅前こそ商店や住宅地が密集していましたが、歩いて10分もすると田んぼや畑、梨園があるという農村的要素の多いAの都市近郊の外帯だったんです。しかしバブルを契機に土地投機が盛んになり、たくさんあった梨園はほとんどマンションに変貌、@の都市近郊の内帯になってしまったんですね。東京近郊はそういう変化は至る所であったと思うんですが。
 さてと、話しは変わります。都市の外延部は、農業側からいうと都市近郊地域ですが、住民からみると郊外ですよね。この郊外。最近は評判がよくない。昔のコミュニティや街並みを崩壊させ、人びとの生活、家族関係、人間関係を変質させ、ひいては人の心を変容させ、犯罪の温床となったりするとまでいわれています(三浦展『ファスト風土化する日本−郊外化とその病理』洋泉社、ISBN4-89691-847-9)。(ちなみに、 三浦展は『下流社会』のベストセラーで、いまが旬のライター。)
 三浦は、この本で日本中が「総郊外化」しているという(情報の発展や観光開発などで、かなりの山村でも都市的要素がみられますが、私はそこまでいっていないと思うのだが。これだと、農業サイドからみると、日本の農業はすべて都市近郊農業になってしまう! それはそれで『都市近郊地域における農業』の販売対象が拡大することになって、農林統計協会としては万歳なのだが。)。
 三浦の郊外は東京・大阪の郊外というより、地方都市の郊外が対象になっている。そして地方の郊外の光景は、「東京と何も変わらない。いや、東京郊外以上に徹底して郊外的だ」という。たしかに車で田舎に帰省すると、平場地帯では、農村の景観の変化がよくわかる。いままで田んぼだったところに、忽然と道路が開け、けばけばしいロードサイド−巨大ショッピングセンター、ファストフード店、ディスカウント店、パチンコ店、カラオケボックス、サラ金−が軒を連ねる。この本にも出てくる国道7号線は最近完成され、帰省のさい利用するようになったが、パチンコ店の多さにヘキエキする。以前ののどかな風景は一変した。三浦が「もしかすると、『失われた10年』に本当に失われたものは、金ではなく、地方であり、風土なのかもしれない。」という言葉は実感できる。そしてロードサイドの大型ショップに人が引き寄せられ、駅前の商店街はシャッター通りとなってしまった。
  三浦はかつて、『「家族」と「幸福」の戦後史−郊外の夢と現実』(講談社現代新書、ISBN4-06149-482-1)で、郊外と核家族について問題を指摘していた。すなわち、@生まれ育った地域の異なる人々が集まる「故郷喪失性」、A @によって起こる「共同性の欠如」、B同じ時期に開発された郊外住宅地の住民の年齢、所得、家族構成の「均質性」、C Bの均質性のなかでの小さな違いが大きく感じることから生じる住民間の競争、とりわけ学歴競争、D職住分離により、子どもは働く大人を見る機会が少なく、子ども中心の消費生活が中心となる、D車がないと移動できないため、子どもは親に依存した生活になるという子どもの社会化の阻害。
その後、三浦は編著として、『脱ファスト風土宣言−商店街を救え!』( 洋泉社、ISBN4-86248-020-9)を出して、方向性を打ち出しているようだが、まだ読んでいない。  都市近郊地域にせよ、郊外にせよ、歴史は浅い。ブライアントのいうように、「変化の最前線」である。街並みについては、歴史の積み重ねと日本人の美意識の向上により、けばけばしく、薄っぺらな郊外から、街に調和した落ち着きのある街に変貌していくことを期待するしかない。また時間の流れにより、郊外の均質な空間は、異質の要素を含んだ生活空間に変わっていくはずだ。高齢化社会により、車が不可欠な新興地より、歩ける昔の街に回帰する動きもある。農業にかんしては、『都市近郊地域における農業』を読んでね。
 

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