今回は、沈金虎著『現代中国農業経済論−近代化への歩みと挑戦』です。
この本は558頁の大著で、現代中国農業についてほとんどすべてを網羅しています。これ1冊あれば、戦前の植民地時代から、新中国の成立、土地改革、大躍進、農業の社会主義的改造と人民公社、文革の勃興と終焉、包干到戸(家族農業請負制)、市場化改革、改革・開放までの歴史を知ることができるというスグレモノ(これだけで1冊の本に相当します。ここまでで254頁なんだから。)。
沈先生が歴史の叙述に重きをおいているのは、なぜ社会主義期の中国農業が低迷したのか、なぜ改革後の農村経済は急激に成長したのか、を解明するためです。その設問が基底にあって、激動の世紀が叙述されていきます。
これだけではないよ。まず中国の食料需要と農業成長の計量分析したあと、中国の農地減少問題、WTO加盟による中国農業への影響を論じ、アメリカの農業保護政策に批判を加え、返す刀で中国の農民負担問題、教育改革、農工格差、戸籍制度にメスを入れ、さらに土壌浸食、草原退化・砂漠化問題にまで追及の手を緩めないのです。
沈先生は、中国が抱える最大の問題−農業・農民・農村の「三農問題」の所在と解決の道を探るため、これだけ広範囲にわたって分析しているんです。先生によると、「三農問題」は複雑で、1つの政策で対応できる問題でもなければ、単純な経済モデル分析で解ける問題ではないからだとか。経済格差の問題にしても、最大の要因は、農村と都市を二分する戸籍制度にあり、解決を阻んでいるのは、年金、医療保険など社会保障制度にかかわる政府負担問題と関係しているからだとみています。それゆえ、「三農問題」を理解し、有効対策を打つには、農業問題の範囲だけでは解決できず、中国特有の国家工業化戦略、財政、税収、戸籍、教育制度まで波及して考えなければならないと述べています。
その結果、このような大著になったんだよ。つまり、1冊で3冊か4冊を読んだくらい手応えがあります。だから税込み6,196円ですが、中国に少しでも関心があれば、絶対お買い得(3冊か4冊だと1冊当たり1,500〜2,000円だもんね)。
ここからは脱線。中国農村を舞台に、国共内戦、新中国成立,大躍進,文革、包産到戸(農家生産責任制)へと続く激動の時代の家族の物語を描いた小説に、余華の『活着(フオチョ)』(大河内康憲編注、東方書店、ISBN4-497-97531-2)があります。東方書店のこの本は、中国語教材として中国語全文が載ったものです(いまでは日本語版も出ているらしい。読んではいないが。)。
あまり小説の内容は知られていないので紹介しますね。
主人公の徐福貴は、戦前には見渡すかぎりの土地が徐家のものという大地主の息子だったが、すべての土地、屋敷、財産を、博打で龍二に取り上げられる。福貴には、両親、妻(家珍)、娘(鳳霞)、息子(有慶:このときはまだ家珍のお腹の中)の家族がいる。屋敷の引き渡しの日、父は帰らぬ人となる。かねてから娘婿の悪行(飲む・打つ・買うだった)に腹をたてていた義父(街の米屋)は、身重の家珍を実家に連れていってしまう。福貴家族は粗末な小屋に住み、龍二の小作人に転落。以後、生涯貧しい生活から抜け出せない。有慶を生んだ妻が戻り、福貴はかつての愚かな生活を改め、まじめに働くようになった。
母が発病し、医者を求めて街に行った福貴は、国民党につかまり、無理やり大砲を引く雑兵にされてしまう。そして国民党と共産党の戦いのクライマックスに(大河内さんは注で淮海戦役を指すとしている。1948年11月から49年1月の国共内戦の最大の戦い。当初国民党430万人、共産党120万人で臨んだ戦いは、国民党軍の壊滅で終焉に。これを機に共産党軍のは破竹の勢いで各地で勝利し、1949年10月1日に新中国が成立する。)。戦いの後方部隊にいる福貴と戦友の老全と春生はただ塹壕にいるばかり。前線に負傷者が後方に送られ、手当てを受けることなく死んでいく。最初は飛行機から食糧を落としていた国民党も次第に間遠になり、部隊は飢えと寒さの極限状況に。老全は戦死。春生は食物を求めて行方不明に。そこに共産党軍が現れ、福貴は捕虜に。そして解放。九死に一生を得た福貴は6年ぶりに故郷にたどりつく。そこで告げられたのが母の死と、聴力を失った娘。土地改革により、悪覇地主とみなされた龍二は処刑される。
人民公社の時代になり、一家総出で働くが、福貴の生活は苦しい。息子・有慶は13歳。県長で校長の奥さんが出産による出血のため危篤となり、生徒に献血が求められる。唯一血液型の合った有慶は、県長のためと医者から大量の血を抜き取られ、命を落とす。怒った福貴が対面した県長は、戦友の春生だった。春生は捕虜になった後、共産党軍に参加し、いまでは党の幹部になっていた。かねてから骨軟化症を患っていた妻はそれがもとで病気が悪化し、不帰の客となる。春生も文革の折、暴力と批判にあい自殺。
障害のため結婚できなかった鳳霞であるが、35歳のとき、万二喜とめぐりあう。二喜も首がまっすぐたたないという障害者で、街の運搬工だった。結婚した二人の幸せもつかのま、出産で鳳霞は死亡。子どもは苦根と名付けられた。二喜は苦根だけを生き甲斐に暮らしていたが、苦根が4歳のとき工事事故で死亡。苦根は福貴の託される。
文革は終了し、村では「包産到戸」が採用される。年とった福貴には、「包産到戸」は厳しく、貧しさは変わらない。苦根は6歳。綿の収穫時期、苦根は高熱で休んでいた。福貴は畑に。ふだんひもじい思いをしている苦根は、福貴が用意していた豆を食べ過ぎて死んでしまう。
以上が大まかなあらすじ。このように福貴以外の登場人物は皆死んでしまうという悲惨な話なのですが、淡々と語り、醒めた視線で人生を達観したかのように飄々と生きる福貴の姿は感動的だ。文体も余分な形容詞がなくて力強く、そのため中国語学習者にも読めます。
その後、この本は張芸謀(中国の最も有名な映監督画)によって映画化されている(日本でのタイトルは「活きる」)。映画の舞台は、農村から都市に変更され、金持ちの坊ちゃんから転落した福貴は皮影戯(中国の伝統影絵)師になっている。原作の農民像は失っているが、映画も感動的だ。原作とは異なり、妻・家珍、婿・二喜、孫・苦根は生きのび、最後のシーンは一緒に食事している。映画は、次々襲う政治的混乱や悲劇にも、悲観的になることなく前向きに生きていく。そのたくましさ姿をユーモラスに描いている。土法炉(どほうろ)での粗悪な鉄の製造、公共食堂、人民服を着て革命歌を歌い毛主席に敬礼する結婚式など、笑えるシーンがたくさんある悲喜こもごもの映画なのです。福貴役は葛優、家珍役は鞏俐(日本でもおなじみ)が演じているが、葛優はせつなく、おかしみがあり、実にうまい。