『フードシステム学全集』(以下『全集』)の刊行1年目を迎えました。そこで改めて、監修者の高橋正郎先生に、刊行の背景、『全集』の特徴やポイント、今後のフードシステム学などについてお尋ねしました。
○ 食と農をつなぐシステムを考える『全集』
問 :はじめに、まだフードシステム研究会から日本フードシステム学会に移行したばかりという、日が浅い時期に、『全集』を刊行しようとしたいきさつ、そのときのお考えをお聞かせください。
高橋:『全集』を企画した当時のことから思い出して話してみたいと思います。「フードシステム」という言葉自体が、最近はあちこちで使われるようになり、市民権を得てきたようですが、10数年前に学会がスタートした頃には、フードシステムという言葉自体が、ほとんど認知されていなかった。フードシステムが食料・食品にかかわるシステムではなく、「風土」のシステムと勘違いされることもありました。
フードシステムということを発想したことを簡単に言いますと、当時、今もそうですが、食と農との距離が非常に離れてしまって、その間に食品産業、すなわち、食品製造業や食品流通業が多く介在して、食をする人はそのプロセスが見えにくく、生産者も自分が生産した農産物がどんな形で途中のプロセスを経由して、最終消費者は誰なのかかわからないまま、生産を続けている状態でした。これは不自然だろうということで、それらをつなぐ1つのルールなり、システムを考えてみようというのが、このフードシステム研究を始めたきっかけです。そこで仲間を集め、フードシステム研究会をつくって、3年を経過し、日本学術会議に登録したら承認されましたので、名称を日本フードシステム学会に変更しました。そのとき、ではせっかくだから何か記念事業をやろうということで、理事会や会員懇談会で相談したら、『全集』を出そうという話になったわけです。
『全集』発行のねらいは、まずフードシステムということを理解してもらうこと、どういう気持ちでこの学問を打ち立てたかということを、理解してもらうことが1つです。それから食と農との関係をとらえた場合、いままでパーツ・パーツの学問が分離・独立して研究していました。川上では農業経済学、漁業経済学、川中の食品製造では食品工学、食品製造論、川下の流通では商学系の食品流通論、消費では栄養学、食文化論などにそれぞれ分離していた。フードシステム学会はそれをつなごうということで、いろいろな専門の違う人たちを集めたわけです。そうなりますと、用語も違いますし、概念も違って議論がなかなか進まないわけです。そこで学会となったことだし、記念事業として、少なくとも学際的な研究集団としての共通項をつくろうではないかということで、『全集』が企画されました。
○ 産・官・学共同の執筆陣
問 :『全集』の魅力はどこにあるとお考えですか。
高橋:全集では巻ごとに川上の農業、流通業、製造業、食生活論というように分かれて全8巻構成で刊行されていますが、それぞれ独立したものでなく相互のつながりを問題にしていますし、それに、各巻に用語解説をつけています。それは、読者のうちの文系の人も技術や科学用語がわかるように、また、技術系読者も背景となる社会経済のことがわかるようにしたもので、これは、まさに学際的な研究努力の賜です。
私がこの『全集』で自慢できることは、特定の仲間内の議論や論文ではないということです。同じ巻で技術者、栄養学者、経済学者が書いており、それぞれ各巻の編集担当者は、そこで共通の議論ができるように努力しているということです。
しかし、まだ、フードシステム学会でもその学際的な研究成果が上がっているかというと、まだ十分ではなく、中途段階ですが、この『全集』の刊行で最初のスタートは切られたと思っております。これを読むと、専門外の中間領域の議論がどんなところにあるのか、理解できるかと思います。
また、いままでは、専門書というと、学者や研究者をターゲットとしたものがほとんどでしたが、しかし、このフードシステム学会では産・官・学共同ということを、一方の旗印にしてきまして、そこでの論議は、行政レベルの話、企業側の実務者の論理も多分に入っています。企業関係者も学会の会員やスタッフで、執筆者にもなっています。すぐに実践性ということで、短兵急につなげるつもりはなかったのですが、研究者だけでなく実践家もこれを読んで、一緒に具体的な場で、食と農をつなげていくことの重要性が強調されていると思います。
○ 生命(いのち)と生命(いのち)をつなぐ食品産業
高橋:『全集』刊行の最中、私は「BSE問題に関する調査検討委員会」の委員長に任命されました。報告書提出のあと、その関連で、蓮舫(現在 民主党議員)とテレビ(テレビ東京)で対談しました。そこで彼女が言うには、デンマークの食肉学校を取材していたところ、日本の食肉加工会社から派遣されてきた人が非常に面白い話をしてくれたそうです。それによると、日本で作業していたときは、ダンボールに入っている原料である肉をモノとして扱い、それを製品であるモノに加工していた。モノからモノへと加工していたわけです。しかしデンマークで研修を受けたときには、最初の研修はと殺だったというのです。そのとき、この仕事は生き物を扱っているのだと強く感じ取ったというのです。いままでモノとして扱っていたものが、生命(いのち)をもっていたものなのだと。だから生命(いのち)を食材として食品に加工する、そしてその食品を食べた人の生命(いのち)をつないでゆく、そのように、生命(いのち)から生命(いのち)をつなぐものが、自分たちが従事している食品産業なのだ、と感じたというのです。
私は、これはフードシステムの考え方がその基礎にあって、重要なヒントがあるのではないかと思います。われわれが扱っているものは単なるモノではなく、それを遡ればすべて植物であれ動物であれ、さまざまな生命(いのち)であり、そして最終消費も生命(いのち)につながるものであると。こういう生命(いのち)の流れをフードシステム全体の流れのなかでとらえ、実践者も含めて考えていただければと思います。
○ 食の安全性からも重要な「産」の参入
問 :フードシステム学会は、さきほどの「産・官・学」のなかでも「産」の部分、実務家が積極的に入ることができる枠組みをもった学会ですね。「産」からのフードシステム学への参入をさらに進めばいいと思っているのですが、いかがでしょうか。
高橋:フードシステム自体が歴史的にみて、かなりダイナミックに変化してきています。変化してきているそのきっかけを整理しますと、4つあります。1つは消費の変化です。消費が変わってきたので、フードシステム全体が変わってきている。すなわち、消費者ニーズの変化です。これは普通にいわれているところです。
第2は、企業の食品製造過程でのイノベーションや、家庭での消費レベルでのイノベーションが、フードシステムを大きく変えてきた。例えば、異性化糖という、現在のほとんどの飲料に入っている糖分があります。日本で開発されましたが、アメリカでの工業化が速かったようですが、これが砂糖産業そのものを大きく変えるわけです。脱酸素剤が開発されたため、食品の輸送性や保存性が高まり物流システムが変わり、商圏が大きく拡大したということもあります。各家庭に普及した電子レンジが、冷凍食品や調理済食品の開発と普及を促したことは身近に感じることです。
第3は、そのような消費者ニーズの変化や技術革新を、ビジネスチャンスとしてとらえ、果敢に挑戦しようとする食品企業の企業行動が、またフードシステムの構造を変化させてきています。市場細分化戦略、製品差別化戦略などマーケティングを駆使する食品企業は、女性の社会進出や高学歴化にともなう家庭での調理時間の減少や調理技術の低下を、十分補って、中食産業を展開させ、成熟社会における食を保持、支援してくれています。
第4に、制度の変化、法律の変化があります。例えば地ビールができたのは、酒税法で、ビールの製造の最低基準を2,000キロリットルから60キロリットルに規制緩和したことによります。そのような制度の変化がフードシステムを変えています。
このように企業におけるイノベーション、企業行動がフードシステムに与えた影響は大きい。食品産業は、いままでも、またこれからも食と農との間で重要な役割を果たしていくのですが、しかし、その領域は、川上の農業生産者、川下の最終消費者の両者からみえないブラックボックスになっていたわけです。それをしっかり白日にさらし、消費者を含めてフードシステム構成員にわかるようにするということは、今求められている食の安全性の面からも不可欠であることだと思います。
その意味で「産・官・学」の「産」の人たちが、さらに積極的にこのフードシステム学の研究運動に参加してもらうことは必要だと思います。しかしそのためには、産業人がこの学会をもっと身近に感じられるような、身近に話ができるようにする必要がある。学者というのは、自分が一番えらいと思っているふしがあるので、自戒しなくてはいけませんね。
フードシステム学会は、スタートラインから関東支部で、年4回サブミニシンポジウムを行っています。そのときの報告の4人のうち3人は実業界の人です。ほとんどボランティアで参加してもらっているのですが。非常に実務的な報告をしていただき、毎回70〜80人の参加者がいます。そこで得た知識は大きいし、また我々が思いもつかなかったことが企業の関心事になっていることがわかります。
それだけではありません。企業のなかには、非常に勉強家で、感覚の鋭い人もいます。例えばフードシステム学会の副会長をされていた、キッコーマンの元専務の故吉田節夫さんは、「日本語のカナ文字が増えて、ボキャブラリィが増えた。しかし日本語の文法そのものは変わっていない。同じように食の材料や調理の仕方などは変わって豊富になっているけれど、しかし日本の食生活の文法そのものは変わっていないのではないか」と言っておられました。これはすばらしい着想で、しょう油という文化の担い手であった、キッコーマンの専務を経験した人ならではの発言だと思いますね。残された我々としては、その「変わらない日本の食生活の文法」とは何かを究めなければなりません。
企業人の幅広い知識と経験は、フードシステムに多くのヒントを提供してくれると思います。食品産業界にはまだまだそういう方が多々いると思われますので、是非参加してほしいです。その意味では、『全集』5巻の『フードシステムと食品加工・流通技術の革新』では、多くの食品製造業の技術者が書いていただいていますので、さらに仲間が増えていくことが期待されます。(次号・後編へ続く)