今回は、古内博行著『EU穀物価格の経済分析』です。
はっきり言ってこの本は難しいです。こんなことを言うと売れなくなってしまうのは困るのですが。なぜ難しいかと言いますと、EC(欧州共同体:European
Community、現在のEU:European
Union(1993年11月創設))の穀物価格政策の制度自体が複雑すぎてわかりにくいということがありますね。またテーマが日本人からみて関心を呼びにくく、それゆえ「売れない」、「本にならない」と思われるんでしょうね(著者によると、トピック的には話題にされても、本格的な分析書はないとのこと。そういう本を作ってしまう農林統計協会ってある面ではスゴイ!)。
その点、現在EUが打ち出している農業環境政策は身近でとっつきやすいためもあって、いろいろな形で本になっています(ちなみに農林統計協会でも出してます。例えば松田裕子著『EU農政の直接支払制度』、岸康彦編『世界の直接支払制度』)。
だけど、この本を読んでみてわかったんだけど、EU委員会は「CAP(共通農業政策:Common Agricultural
Policy)の根幹は価格政策であり続けている」と言っているそうだし、価格政策(穀物は保護の横綱格)がわからないと、EUの農業政策(環境政策を含めて)がどこに行き着こうとしているか、そのビジョンがわからないのではないかと思うんだけど。WTOの新ラウンド交渉に向けて、EUとのパートナーシップを築くことが重要視されているわりには、EUのことを知らなすぎるのでは。しかも著者によると、EU農業は今日も「過剰と環境保全の問題の両極に揺れている」というんから、今後の方向性は、環境一本槍ということはないんじゃないかしら。
そこで、この本なのですが、1970年代後半から浮上してくる穀物過剰問題にたいして、EU(EC)は、穀物価格政策によって、いかに過剰を回避し、克服しようとしたかを歴史的に述べたものです。
当時を知らない人に説明すると、1970年代後半から、ECは農産物価格の支持水準を一貫して引き上げたため、膨大な過剰が発生したんです。当時は、「バターの山、ワインの湖」なんて言われていました。そこでEUが行ったことは、EU域内価格と輸入価格に差をつけて域内市場を完全に保護し、対外的には、輸出補助金をつけて過剰生産物を国際市場で処分すること。そのため国際価格は大幅に低下し、アメリカやケアンズ・グループ(オーストラリアなど)から猛烈なブーイングにあい、ウルグアイ・ラウンド農業交渉の大きな争点になったのです。
結局、ウルグアイ・ラウンドと次の何回かのラウンドで、世界貿易を歪めてきたECの農業政策を是正され、市場アクセス、輸出補助金が撤廃されるだけでなく、国内の農業政策までWTOが規制することになったんだよ。そこで世界の農政は、価格支持型から直接支払型へ、環境の配慮・多面的機能の方向に基軸を移し、今日に至っているというわけ。
この本では、その間行われたECのサイロシステム、生産保証限度数量制、生産者賦課金制、穀物スタビライザー制度の説明と、その制度が現実のなかで矛盾を露呈し、マクシャリー農政改革につながっていくことを描いているんです。読み応えがあります。
さて、ここからは脱線。年代的にはまるで関係ないのですが、ジェーン・オースティン(1775年〜1817年)は、「田舎の三、四軒の家族こそが小説の恰好の題材」と言い、ユーモアたっぷりに18世紀から19世紀のイングランドの田舎を舞台に、中流階級の人間模様を描いています。オースティンの描く登場人物が、現在の変動するEU農政下で生きていたら、どんなふうになっていたかなと勝手な想像をしてみました。
ちなみに、ジェーン・オースティンの主な作品は、『いつか晴れた日に−分別と多感』(キネマ旬報社)、『自負と偏見』(岩波文庫)、『エマ』(中公文庫)、『マンスフィールド・パーク』(キネマ旬報社)、『ノーサンガー僧院』(キネマ旬報社)、『説きふせられて』(岩波文庫)(これは、私が読んだ本で、ほかにも違うタイトルで翻訳本が出ている)の6作品。『美しきカサンドラ』『サンディトン』の初期作品も鷹書房弓プレスから発売されていますが、先の6作品に比べて質がかなり落ちる。
では、私の最も好きな『自負と偏見』から。
主人公リジーたち5人姉妹の父親のベネット氏:書斎にこもって、皮肉屋でや何事も事なかれ主義の彼が、今の時代に生きていたなら、たぶんとっくに土地を手放して(もともとわずかな財産なので)、学者になっているじゃないかしら。
次女リジーの恋人ダーシー氏:彼の膨大な財産を、現在まで維持し続けるのは困難だと思う。イギリスでは、かつての地主の邸宅や庭園を自然保護区としてリザーズしようというナショナルトラスト運動が盛んです。小説のなかでも一部観光客に開放していたから、今の時代では、彼の美しいダービシアの土地は公園となっているのでは。ダーシー氏は農業から離れて、庭園を公園として譲り渡し、公園一角でリジーと田園生活を楽しんでいるように思える。ダーシー氏は農園管理にも心を砕いていたので、異論もあるかと思うが。
長女ジェーンの恋人ビングリー氏:お人好しで温和な彼は、財産を維持できず、没落しているのではないかとみられる。ジェーンも同じ性格のため、家を維持できないだろう。
五女リディアの恋人ウィカム君:もともと浪費癖で借金を抱えている彼(リディアも浮ついた性格)は、たちまち財産を食いつぶし、妻の姉妹に依存したその日暮らしをしているのでは。
隣の家のシャーロットの夫コリンズ:言動は愚かでも、抜け目なく、金銭欲も強い彼は、わずかな財産を効率的に活用して、中流階級を維持しているだろう。牧師の仕事もあるし、シャーロットも堅実である。ただし愛着のない土地ロンボーンはさっさと売り払い、株式投資などをやっているのかな。
ダーシー氏の叔母キャサリン夫人:彼女の莫大な土地と財産はどうなっただろうか。高慢な性格のため、家の没落など認めがたく、穀物価格の値上げに躍起になって政府にはたらきかけるなるのでは。こうした層が、EU農政を動かす圧力団体になるのではないかしら、なんて思ってしまう。
ちなみに、『自負と偏見』はエマ・テナントが続編を書いていて、日本でも『ペンバリー館』『リジーの庭』(青山出版社)が翻訳されています。『自負と偏見』のその後が気がかりというのは誰でも同じなのかしら。ストーリーはそれなりに面白いのですが、オースティンに比べて洞察力がイマイチというのが私の感想。