今回は、『共生農業システム叢書 第3巻 中山間地域の共生農業システム』(小田切徳美・安藤光義・橋口卓也著)です。
中山間地域で人が流出し、農地が荒れ、むらの機能が低下し、そのことがまた人を流出させるという悪循環は、いままで中国・四国などの西日本で起こっていた現象なのですが、この本によりますと、それが今では、東日本の中山間地域や一部の平地地域にも及んでいるというのです。そして過去の西日本で起きていた中山間地域の展開は、今後の平地農村地域の現在と未来を示すものであるという意味で「解体のフロンティア」であり、いままで中山間地で再生のため各地で苦心して取り組んできた取り組み、方向性は、今後の平地農業にも応用できるという意味で「再生のフロンティア」になっているというのが、この本のテーマなんです。
ところで中山間地域という言葉は、最近でこそ、「中山間地域等支払制度」が施行されて一般の人も耳にするようになりましたが、農業関係者でもないとよくわかりませんよね。山間ならわかるけど、「中」っていったい何だろうって思いますよね、フツウ。これは、平地農業地域と山間農業地域の中間という意味で中間農業地域ということで、つまり中山間とは、中間プラス山間なのです。その違いは、傾斜度や林野率、耕地率などで決められているんです。もっと良い造語がつくれなかったのかなんて思うんだけど(小田切先生たちの責任ではないよ。念のため。)。私だったら、たとえば丘陵地域・山あい地域なんてイメージしやすい名前にするけど。
こうした中山間地域の抱える問題、つまり小田切先生の言われる「人」、「土地」、「むら」の空洞化の問題は、連日のように報道されるクマ、イノシシ、サルなどの人への被害や農作物への被害、自然災害などに連なっています。とても他人事ではすまされないのですよ(神奈川県足柄や東京都奥多摩でもクマの出没がみられたといいますし、先日は八王子でイノシシがJR中央線に衝突して特急一時ストップしました)。こうした鳥獣被害は、餌となる広葉樹などの木の実が減ったこととともに、緩衝地帯であった里山がなくなり、山と里が直結するようになったことも原因じゃないかしら。中山間地域が活気に満ち、人の気配が至るところにあり、耕作放棄地(これは鳥獣に格好の餌場とすみかを与えている)がきちんと管理されるなら、被害はこうも多くはないんじゃないかと思うんだけど。
この本では、「地域を守るための危機対応」として、各地の取り組み事例が紹介されていますし、政策的支援のあり方も論じています。他人事にせず、ぜひ読んでね。
さて、と話しは脱線します。この本のなかで、「中山間地域における集落営農の展開方向」のなかで安藤先生は、次のように書いています。「集落営農が盛んな中山間地域や西日本の総兼業化地帯は、集落の構成農家の経営面積・所有面積はほぼ横並びで、・・・。また、集落営農に熱心な地域と浄土真宗が盛んな地域とは重なっているとして、集落の凝集力の強さに対して社会的宗教的要因から説明されることもある。」それを援用しているのが宮本常一さんの『庶民の発見』(講談社学術文庫、ISBN4-06-158810-9
C0139)。
興味あったので買ってきて読んだよ。だけど宮本さんが集落の凝集力の強さと浄土真宗を関連づけている箇所は非常に少なかったのですが。それが書かれているのは「庶民の願い」のなかの「農民社会の形成」の項。次の一文は印象的でしたよ。「いま一つ真宗という宗旨のおこなわれたことも、庶民意識をつよめてゆくための大きな役割を果たしているようである。村をあるいてどこへ行っても(ここでは広島県を指しています)一ばん大きいのは寺である。・・・この寺をつくりだしたのはやはり民衆の力だったのである。日本の仏教は幸福を現実の中へ求めようとせず来世に求めようとすることにおいて現実逃避的であり、あるいは現状肯定的であるともいえようが、真宗はそうした逃避をこえて、人間的なものを求めていたことは人間の生命を尊重する態度の中にも見られる。そして、それが人間に希望をもたせたことは大きかったと言っていい。」
そこで思い出したのが、五木寛之の『隠れ念仏と隠し念仏』(講談社、ISBN4-06-212935-3
C0236)。五木は最近『蓮如』など仏教とくに浄土真宗に関心が強いが、この本は浄土真宗禁制の地域で命がけで守った人びとがいたことを教えてくれる。
かつて薩摩藩と人吉藩では、一向宗(浄土真宗)が禁じられ、300年苛烈な弾圧が行われた。その嵐に耐えて守りぬかれた「隠れ念仏」。一方東北の、信仰を表に出さず、取り締まりに対して秘密結社のように守りつづけ、「隠す」ことで結束した「隠し念仏」。
こうした事実を私は初めて知ったよ。「隠れキリシタン」のことは歴史の授業で、鎖国、島原の乱、天草四郎、踏み絵などとセットとして習ったし、遠藤周作の幕府の弾圧に抗して殉教する人びとを描いた『沈黙』や、開国以降の弾圧を描いた『女の一生 第1部 キクの場合』は涙なしには読めない。「隠れ念仏」に対する弾圧−死罪、拷問など手法は『沈黙』の世界と同じだ。嵐の悪天候の夜を選んで山中の洞穴のなかで宗徒が集まって念仏を唱えるという姿は鬼気迫るものがある。
五木はなぜ為政者が一向宗を恐れたか分析する。一つは加賀一向一揆や石山本願寺合戦から年を経ていなかったため、その恐怖が経験として身についていたこと、二つは一向宗の組織性をあげている。つまり、一向宗は「講」という集団組織を組み、「講」から「講」へつながってネットワークを張りめぐらせるという。「講と講はあちこちでつながっていたため、真宗門徒が一揆を起こすとなれば、どこか一ヵ所の講に火をつけるだけでよかった」「(弾圧によって)どこかの講がつぶれると、その講とネットワークを組んでいる別の講がテコ入れする。まるでもぐら叩きのようで・・・しかもこのネットワークは、現世の政治や経済がらみの組織によるものではなく、信仰という『魂』をよりどころにしたものなのである。」と五木は語る。
浄土真宗に関して私は何の知識もないが、こうしてみていくと、浄土真宗の盛んなむらでは、「講」という組織がむらの凝集力と関係しているのではないのかと思える。