マコの勝手に思い入れ情報

著者の意向とは関係なく、本の主題とも大きく外れますが、勝手に面白いと思う情報を取り上げるコーナーです。



<<<   2006.10   >>>


☆★☆ 集団就職からフリーターの時代へ ☆★☆ 

   今回は、『共生農業システム叢書 第2巻 経済構造転換期の共生農業システム』です。著者は、茨城大学の安藤光義さんと、農村開発企画委員会の友田滋夫さん。この巻では、戦後とくに高度経済成長以後、強蓄積メカニズムに組み込まれて、農業・農村の資源−労働力・農地−が飲み込まれ、さらに冷戦体制終了後の現在、大競争になかで、農業・農村資源が枯渇し、空洞化する過程を跡づけたものです。
 こんなふうに書くと、「とっても難しそう、もうダメ!」なんて言葉が返ってきそう。だけどそんなことはないから。やさしく言うと、1960年頃の「金の卵」「集団就職列車」の時代から、現在の「フリーター」「ワーキングプア(働く貧困層)」までをつづった労働力編と、労働力が流出してしまって、人のいなくなった農村で耕作放棄が続出し、農地をどう管理するかという農地編に分かれているの。
 ここでは労働力の方を取り上げてみたい。というのは、これを読んでいて「目からウロコが落ちる」という感じがしたもの。オーバーじゃないよ。
 高度成長期に農村から都会へ、新規学卒を中心とした若者たちが大量に引き寄せられていきます。その多くが京浜工業地帯などの製造業へ。これは主に1960〜70年代。「金の卵」(中卒の労働者)というのが流行語になったりしました。このあたりは、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(http://www.always3.jp/)にロクちゃんが蒸気機関車で集団就職してきますよね。生まれていなかった人はそれでイメージしてね。
 (ちなみに、と脱線すると、映画ではロクちゃんは女の子になっていますね。原作(西岸良平氏)の漫画では男の子。性格も違っています。自分の思い描いていた鈴木オート(大会社だと思っていた)のイメージとのギャップ(実際は従業員はロクちゃん1人)のため、落ち込むのは同じ。そして履歴書の得意項目に自転車修理と書いて、社長に自動車修理と勘違いされ、自動車修理ができないロクちゃんは社長にしかられるというのは同じですが、そのあと映画のロク子ちゃんは個人企業の社長さんと渡り合い、派手なケンカになります。一方、漫画のロクちゃんは、人知れず涙するというもの。そのあと奥さんのトモエさんが、ロクちゃんの荷物のおもちゃ(ケン玉だったと思う)を見て、息子の一平君とたいして年が違わないことに気づき、一平君のおにいちゃんができたと思うことにしようと悟るのです。ずいぶん前に読んだ漫画なのに、この場面はよく覚えている。けっこう好きなシーンなので。)
話を戻してと。それでも日本資本主義の労働力の需要は追いつかない。そこで現れたのが「農村地域工業導入促進法」。農村に工場をつくって、都会に来られない農家の主人や主婦にも働いてもらおうというもの。それによって出稼ぎ問題はほとんど解消されたのですが。。。農村に工場が次々できたのが1970〜80年代。
1990年代になると、さすがに農業には工業側に人を送り出す余力はなくなった。そこで登場したのが外国人労働者。これは高度成長期の農村から都市への人の移動の国際版。しかし外国人労働者の受け入れには限界があります。そこで進められたのが、企業の海外進出。これは1970年代の農村への工業進出の国際版。
一方、国内ではこうした経済のグローバル化のあおりで競争が激しさを増し、働く人の地位が低下する。非正規雇用が拡大され、現在のフリーター、ニートの問題につながっていく。かつて不安定就業といわれる部門は兼業農家が担っていたのですが、その部門を現在のフリーターたちが担っているのですね。
 こうしてみると現在のおかれている状況は、その過去の問題の拡大版という気がしますね。詳しくは本で読んでね。とってもお勧めよ(^^)v
 安藤さんは「あとがき」で、「『おとうさん、ぼく、ちゃんとサラリーマンになったよ。おとうさんの言われたとおりにしっかり勉強して、大学に行って、おとうさんのなりたかったサラリーマンになった」(浅田次郎『角筈にて』)という時代から、「大学に行っても仕方がないが、大学に行かないともっと悪くなる」(山田昌弘『希望格差時代』)」時代を描いたと述べています。
 浅田次郎の『角筈にて』は『 鉄道員(ぽっぽや)』(集英社、ISBN4-08-747171-3)に収録されていますので、読んだ人も多いのでは。『鉄道員(ぽっぽや)」にも、集団就職の場面がありますね。幌舞線は一両だけの単線でしたが、いよいよ廃線になることに。同時に幌舞駅の駅長の佐藤乙松さんも、定年を迎えることになり、長いぽっぽや人生を振り返ります。一番辛かったことは娘の死、二番目が女房の死。しかしぽっぽやとして一番悲しい思いをしたのが毎年の集団就職の子らをホームから送り出したこと。
 「あんたより二つも三つもちっちえ子供らが、泣きながら村を出ていくのさ。そったらとき、まさか俺が泣くわけにいかんべや。気張ってけや、って子供らの肩たたいて笑わんならんのが辛くってなあ。ほいでホームの端っこに立って、汽車が見えなくなってもずっと汽笛の消えるまで敬礼しとったっけ」
 

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