マコの勝手に思い入れ情報

著者の意向とは関係なく、本の主題とも大きく外れますが、勝手に面白いと思う情報を取り上げるコーナーです。



<<<   2006.09   >>>


☆★☆ 農村景観と向井潤吉 ☆★☆ 

  今回は、 後藤康夫著『現代農政の証言−書いたこと 話したこと』です。
 後藤さんは、「農業基本法」から「食料・農業・農村基本法」まで立ち合い、つねにトップで農政をリードしてきた人。交友関係も幅広く、政界、財界、官界の大物揃い。そんな後藤さんの1960年代から現在までの、その時々の農政の課題や政官財の舞台裏などについて書きためたものや、講演・インタビューなどを集めたものです。食管制度と米価をめぐる生々しい攻防戦もありますので、興味ある人は読んでね。
★=(−.⌒)

 そのなかに「農村景観への視線」という論文があります。後藤さんは、EC日本政府代表部書記官として、ブリュッセルに4年勤務していたそうです。そして1970年帰国して目を見張ったのは、「車が水平に走って人が殺風景な歩道橋に上り下りしている光景や勝手放題の広告、地下埋設されずに狭い道路をさらに狭めている市街地の電柱」だったとか。「風景や人の暮らしやすさを守ることには徹底的にコストや手間をかけないこの有り様を見られたら、国際会議で何を言おうと、それだけで日本人はエコノミック・アニマルを断じられてしまう」と思ったんだそうです。
   そこで思い出されるのが、先頃発表された「美しい景観を創る会」の「悪い景観100景」。現在、70景まで公表されていますが、まさに後藤さんの指摘にあるような写真が並んでいて笑ってしまいます(美しい景観を創る会 「悪い景観100景」)。この「悪い景観100景」は、いろいろ物議をかもしているようですね。この「悪い景観」を見ていて思うのですが、ここで選ばれている景観は、人工構造物、俗悪趣味、混沌、商業主義とならんで、生活臭が槍玉にあがっているみたい(たとえば車窓から見える団地の洗濯物)。私は生活臭のある景観は好きなんだけどな。生活に裏打ちされない美しい光景なんて、人間味がなくておもしろみに欠けるのではと思ってしまうんだけど。
 話はずれちゃったけど、元に戻してと。後藤さんは、最近、農水省の「農村景観百選」「棚田百選」などにみられるように、人びとが景観に関心をもつようになったことを好意的にみているんだよ。そして二次的自然である「農村景観」の美を発見した人物として、柳田國男をあげています。そして次のように引用しています。
 
 「農業は植物の種類を複雑ならしむる所の作業である。緑一様なる内海の島々を切り開いて、水を湛え田を作り紫雲英(れんげ)を蒔き、菜種、麦などを畠に作れば、山の土は顕れて松の間から躑躅(つつじ)が紅く、その麦やがて色づく時は、明るい枇杷色が潮に映じて揺曳する。」
 
 こうした風景はちょっと前には、日本のいたるところで見られ、「ふるさと」といったとき、連想するのはこういう景観じゃないかしら。田んぼを中心とした農村と茅葺き屋根の民家というのが「ふるさと」の原風景になって、インプットされているように思う。
( ̄0 ̄) オー
 農村と民家の画家といって、思い出されるのが向井潤吉。そこで世田谷にある「向井潤吉アトリエ館」に行ってきたよ。夏の昼下がり、その一角だけが暑さを忘れさせるような静かなたたずまいが、かつての向井潤吉のアトリエであった美術館。平日のためか来館者は1人もいなく、美術館を独り占めできるという贅沢な気分を満喫。アトリエ館は80点ほどの絵画がありますが、8割が民家の絵。
 向井が民家を描き出したのは、44歳を迎えた昭和20年(1945年)だそうです。戦時中は、従軍画家だったとか。その心の軋轢は、アトリエ館にはありませんでしたが、「漂人」という絵にうかがうことができます。地獄を見たかのようなうつろな目をした帰還兵がおののきながら立っている絵(昭和21年作)。
 その後、戦争の体験を振り切るかのように、モチーフを民家に求めていきます。高度成長と反比例するように消失していく民家を、自らの足で追いかけるのです。向井は次のように言っています。

 「長い年月の間にその土地や季節の条件の上に案配され、建てられた住居というものは単なる感傷や、理屈では解き難い厳然とした美が保たれている筈である。などと何うにもならね事をくどくど言っている間に、あちこちの家が消滅して行くので、私は更にあわてて、益々気ぜわしくなってくるのである。」(1959年4月)
 「私は民家の卓抜した、そして地方色の豊かな形の面白さに魅せられて、それを追跡するように描いてきた。しかし、いつの間にかそうした対象とする民家と、その所在する界隈との調和、風土風物の組合せに重点がかかってきた。それは単なる感傷や懐古ではなく、長い伝承によって受けつがれてきた簡素と愛情と工夫に満ちた遺産の造型と、自然の融合に計り知れぬ興味を湧き立たされたためである。」(1980年7月)
  (以上、出典は『向井潤吉アトリエ館 名品図録』)

 こうして、1994年93歳で亡くなるまで、膨大な数(正確な数はわからない、60歳のとき火事にも見舞われているので)の民家を描き続けたのです。

 向井潤吉の絵はきわめて写実的。雑草の1本、樹木の葉の1枚もおろそかにしないぞ、といった信念で描かれているみたい。対象を丹念に観察し、写生しているのです。しかし、写実的な絵画にみられる重苦しさは感じられず、どの絵も涼やかな風が吹いているよう。非常に細密に描かれているため、絵画としても貴重ですが、歴史を記録するという意味でも貴重だと思う。また軽いタッチの水彩画もあって、こちらの方が好みという人も多いかも。
 向井潤吉は、人の住まなくなった廃屋は描かなかったといいます。それゆえ、それぞれの民家は生活感があり(洗濯物のかかった家も多い)、その家からいまにも人が飛び出してきそうなんです。
ハタキ (( \(^^ )/ )) バタバタ
 

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